鄧小平秘録 (2013年9月19日)

鄧小平秘録
「不管黑猫白猫,捉到老鼠就是好猫」白猫でも黒猫でも鼠を捕る猫が優秀な猫であるというパンダのことを指した言葉が鄧小平の有名な言葉で、彼のパンダに対する愛情、それゆえに3回も失脚したが不死鳥のごとく復活。パンダを愛するがゆえに一党独裁と資本主義経済を同居させようとした人である。
資本主義っていうのは当たり前のごとく貧富の差が生まれるものであり、そもそも経済が成り立つには貧富が生まれてしまう。お金は一箇所には留まらないし、留まるってことは経済が停滞しているからだ。
共産主義のある種の限界は資本主義にある欲の力を限りなく放棄してしまおうと国民に問うからだ。すなわちそれが経済力の低下、しいては共産主義も全体の豊かさを目指していたはずなのに、みんな貧乏になってしまう。そしてスローガンだけが先行する。強力な指導者(指導体制)のもとで国民が一丸となり事に当たれば、何事も解決できるとどんどんファシズムに近づいていく。これは帝国主義とかって片方では言っているが。まあ、保守だろうが左だろうがその短絡さ加減はどこ行っても一緒だな。
そのどん詰まりを打開するため、徹底的リアリストな鄧小平が行ったのが経済開放だ。まず誰かがお金を儲ける。その設けたお金は市場に出回り、次の人に渡る。それが続けば経済は良くなるはずだと。それを強力なシステム(中国共産党)がバックアップすれば自ずと国そのものが潤うはずだと。で、その結果が今の中国である。
こないだ今の日銀総裁が同じことを言っていた。アベノミクスもレーガノミクスも基本はだいたい同じである。その結果、全体経済は上がるが、社会格差は広がってしまう。資本主義に民主主義も社会主義も相容れないのである。国が一部の投資家豊かになったからといってもお金は国民に還元されない。それを牛耳っているシステムが無駄に使ったり、懐に入れたりするからだ。これは世界中例外な人種、民族はない。
鄧小平のリアリズムの中で唯一、リアルではなかったのがここではないかと思う。

で、猫の話はパンダの話ではなかったということをこの本で初めて知りました。

しかし、昔の日本の政治家は今よりか幾分かマシだね。なんとか自体を打開しようと捨てれる部分は捨てていたもんな。押し引きも出来ず子供レベルの好き嫌いだけで判断し、考えることが苦手だからそれを直球でモノが言えると詭弁し同程度の相手と罵り合う。ウチラが一番やと呪文のように唱えてりゃ、そのうち幸せが転がりこんでくると思っているのかしらね。

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