戦後65年 (2010年8月15日)
敗戦65年だそうで。こないだ60年だったのに。
65年も経つが、あいも変わらず日本という国はあの戦争で何も学ばなかった感じがしてならない。戦争の責任を逃れ、敗れた戦いをやっと終わりましたと他人ごとのように話し、世界とも関わっているようでいて関わらなかった65年。その無責任主義がここ10年のグローバル化で世界が近くなった状況に対応できなくなってきた。それもこれも、先の戦争の負けた原因、責任をきちんと追及してこなかったせいだと思う。
広島、長崎、沖縄の解釈に問題が大いにあると思うし、そこにただ悲壮感と祈りを加えるだけでは意味がないと思う。なんでそのような悲劇が起きてしまったか論理的にきちんと見つめ直さないと、さらには広島、長崎、沖縄がほんとに特別な訳ではなく、日本全国が空襲を受けていて民間人も多数死んでいることをきちんと認識しないと、上の3つがただの「平和」というから滑りの言葉の意味合いしかもたなくなってしまうのではないか?
当時の他の列強に追いつくべく、植民地主義を取った、実際それを行った。当然の如く、国際社会から非難を受ける。いい気になった日本はその力すらないのに戦争を仕掛ける。当然の如く負ける。当たり前のことだ。
殴りかかっちゃいけない大人に、分をわきまえずに殴りかかった子供がいて、たまたまそれが上手く当たって、その大人が激怒した。そんな構図だとしたら、仕掛けた子供は大人になって、その行いの結果をきちんと「やる前に」見極める能力を身につけることだと思う。それが国際社会で生きていくことだと思うが。
昨今の右な人々はその当時の子供になろうとしているようで滑稽で恐ろしい。
この記事のタグ: 戦争
Wrote by ぷー /コメント (2)
コメント
日本人はネオテニーな上に個人という概念がない為「責任」を理解することは不可能です。
投稿者 む : 2010年8月15日 17:07
ネオテニーか。ウーパールーパーと一緒でどうあがいてもえらが取れないということか。
投稿者 ぷー : 2010年8月16日 12:34
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