トリノオリンピック (2006年2月11日)

フェラーリが出てくるとは思わなかったよ。別売りでカールでオリンピックバージョンが出るのは確実だな。いや、季節モノだから近い模型の展示会で誰かが作るはずだ。

さすがイタリアやな。普通はその国のアクロチームが上空を飛ぶのだが。シドニーのF-111のトーチ以来だ。<あれ?あったけなそんなの?いつぞやのオーストラリアGPと勘違いしてるか?

この記事のタグ:

Wrote by ぷー /コメント (2)

コメント

特に興味は無いんですが、開会式を流していたらピーター・ガブリエルが出てきて驚きました。
「お前、新作はどーした?こんな事やってる場合か。」と思わず叫んでしまいました。
フェラーリが出るところは見逃しましたが。
パバロッティが聴けたのも良かったです。
オリンピックって国家間の代理戦争丸出しで好きになれないんですが、こういうエンターテイメントがあるなら今度からもう少し観てもいいかな、と思いました。

投稿者 む : 2006年2月12日 07:44

ピーター・ゲイブリエルさん、イマジンわざとあんな風に歌っていたのですかね?キーがあわなかったのかな?

五輪にしろ、サッカーのW杯にしろ国家間スポーツはそういう成り立ちだから(ナショナリズムのぶつかり合い)特になんだというわけじゃないですが、ロス五輪以降のスポンサー(TV)第一主義、視聴率第一主義となってから、いろんな意味でずれちゃってる感じがしなくはないのは残念なところではあります。
まあ、健全なモノなんてないですから、実のところ僕自身がそこまで落胆したり、正義感だけで判断していませんがね。
ナショナリズムも他の民族より我が民族が優れているとか、自らが世界一!までいくとバカじゃないの?とか思いますが、ぬるーいなんにもない自分たちの世代は、ある種の人間の個としての誇りのよりどころとして、民族のナショナリズムは多少は持っていた方がいいのでは、と。そんな意味で、五輪やW杯、いやいろんなスポーツで掲げられる「日の丸」を観て、自己を確認するってのも悪くはない行為じゃないかと。

しかし、いろんなエゴがぶつかり合うのが人間の業であるから、それを観て一喜一憂するって、完全な傍観者立場もまた悪くはないと・・・ああ、性格悪いっすね(^^;
本当の戦争を観ながらあーだこうだと論する自分よりはまだ、まともな自分かなとも思うわけです、ハイ。

主義って結局、個じゃ成立しなくって他がいるからなんですよね。個と他、個があって全体が成り立ち、全体があるから個が存在しうる。なかなか、世の中って上手くできている。太古の単細胞時代から変わらないんですよね~。

お~、五輪って奥深いぞ~。←と自己賛美。←アホ。

投稿者 ぷー : 2006年2月12日 15:08

コメント記入欄




保存しますか?



画像の中に見える文字を入力してください。

表示切替:スマートフォンスマートフォン | PCPC
▲ ページトップへ