原爆投下 (2005年8月 6日)

60年前の今日、8時15分に人類史上初の人類に対しての原子爆弾投下、炸裂が行われました。

それまで日本各地で焼夷弾による無差別都市爆撃(昨今のスマート弾による精密爆撃が今に始まったことではなく、当時でも軍事目標に対する精密爆撃は行われていた。「精密度」の問題である。)の総仕上の総仕上げるとも思える原子爆弾は35万人程いた当時の広島市民(市民ののみならず、市外、朝鮮人、連合国の捕虜ら)の14万人相当が12月までに死亡し、後に原爆症(放射線被爆、熱線被爆、胎内被爆、広島被爆後に救援活動などで市内に入った残留放射能による被爆など)で死亡した人や苦しんでいる方を含め、なおかつ9日の長崎被爆の犠牲者まで含めるとそれこそ膨大な人数になる。

広島、長崎が目標として選ばれたのはいうまでもなく広島は当時陸軍の西部地区大本営があったこと、長崎は海軍の軍港として重要な拠点であったことであるが、小倉、新潟、京都も候補地であったこと、比較的ひらけた市街地が広がる都市であること、5月のポツダム会談で「原子爆弾はトラック諸島に集まる連合艦隊に使用するのが望ましい」というものも残っているし、都市無差別爆撃が繰り返されていたことを顧みると、必ずしも戦争を早期終結し米国日本の戦争犠牲者を減らしたという理屈は通らず、「原子爆弾による効果」を求めたのが第一義にあったと思う。ルーズベルトは全てを知っていたのに、全く知らされていなかったトルーマンの焦りもあったろう。勝てる戦争ではなくなったときにやめる勇気を持てなかった当時の日本の政治家、軍人、何よりも天皇陛下(権限がないにしろやはり当時は最高責任者であった)の決断の甘さもあろう。

全て、広島、長崎が犠牲者であるとは思わない。産業奨励会館(現原爆ドーム)を残すなら、エノラゲイも残すべきであろう。原子爆弾による惨状は事実であり、人間は忘れる動物である。意識してこの事実を心にとめる必要がある。

この記事のタグ: 戦争

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