東京大空襲 (2005年3月 8日)

60年前の3月10日、東京の下町に焼夷弾による無差別爆撃が行われて約11万人弱の犠牲者が出ました。これを皮切りに市街地に無差別に焼夷弾爆撃をする方法が採られ、市民が犠牲になっていきます。

時の米国戦略空軍司令官カーチス・ルメイ将軍が考案した方法はドイツのドレスデンで試され、非常に効果的だったモノを日本の住宅事情にあわせ、さらに効率を上げた爆撃方法で、まず爆撃を住宅地の左右に(前後)に爆撃し住民が中央に逃げたところでその中を焼き払うというモノです。
折しも、東京大空襲では強風が吹き荒れ予想以上の大火となり、後続のB-29が焼夷収束弾を落とすところがなくなって、爆撃予定外の江東区辺りにまで落としていったのでした。倫理観のあるルールに則った戦争なんてモノはないのです。

カーチス・ルメイはなんにしろ、職業軍人なので与えられた任務を全うしただけなので、それで個人を非難するのはばかげていて、その辺で言えば昔のNHK特集でルメイ宅まで行って、「反省していないのか?」と聞くシーンはちょっと不作法だなと思ったし、今回のNHKスペシャルでは米陸軍の歴史資料センターの責任者までが「ルメイは倫理観のない人だった」といってる始末。
何故に本土空襲までされて多数の犠牲者まで出した責任を当時の政治家、軍部、何よりも実権がなかったにしろ最高責任者であった天皇陛下に問わないのか不思議である。
何故に今の今まで「敗戦」ではなく、「終戦」というのかが不思議である。このごまかしが脈々と受け継がれ現在のゆがみになっているんじゃないだろうか?

きちんと分析し、駄目な膿を絞り出さないと当時犠牲になった方々、戦死された人々に申し訳が立たない。

この記事のタグ: 戦争

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